Junji In The Rain

自分の音楽、自分の大好きな音楽の話など

師走に旧友からのメッセージ

去年も同じように書いたような気がするけれども、

今年もクリスマスらしいことも、年末らしいことも特にない。

 

子供の頃の師走は、家中が目が回る程忙しそうで、年末独特の匂いや音や挨拶の声の中、

土曜日の夕方からやっていた、全日本プロレス中継の暮れの世界最強タッグリーグ戦の

行方を、兄と二人でドキドキしながら見守っていた。

画面の中の馬場に鶴田、ファンクス、ブロディにハンセン、マスカラスブラザーズ、

そしてプロレスが大好きだった祖父。

ひと波乱もふた波瀾もあって、優勝チームが決まる頃には、年の瀬のムードも

佳境に入って、やたらと長かった一年の終わりはすぐそこだった。

 

ほとんどいじっていないフェイスブックに、長い間疎遠になっていた

旧友からメッセージが届いた。

十代の後半から二十歳過ぎまで、彼とは毎晩のように一緒だった。

数えきれない時間を一緒に過ごした。

夜中に怖い人たちに追いかけられて逃げ回ったのも、

凍死しそうなほどの寒さの中、朝まで歩いたのも、ちょうどこの時期だった。

 

先週は美容院に行った。

いつも髪を切ってもらっている美容師さんとは、近所のドラッグストアや、

僕がランニングしている時やら、彼女が犬の散歩をしている時なんかによく会う。

今年はしょっちゅう顔を合わせていたので、彼女が一人でやっている、

黄色っぽい光に包まれた小さなお店に行くと、妙に和んでしまう。

大晦日の夜は、お蕎麦を湯がいて、ご主人と食べるのだと、彼女は話していた。

今夜はGeneを聞きました

夜のランニング、いつもと違うコースを走って帰ってきたら、

ついこの間までは、まだ工事中だった、新しいショッピングモールがオープンしていた。

 

真新しい建物の前で足を止めると、乾いた光の中で、小さな男の子が、

まるでこの世の終わりのような、悲しい声で泣きながら愚図っていた。

「ずっとここにいて、そうしてなさい。そうやっていつまでも一人で泣いてなさい。」

母親の言葉に、一層悲痛さを増していく、その嗚咽を聞いていると、

怒られているのは僕のような気がしてきて、申し訳ないような、

いたたまれないような気持ちで、その場を走り去った。

 

場違いな場所で演奏するのには、もう慣れてしまったけれど、

叩きつけるようにピアノを弾いて、心を閉ざしたまま、

吐き捨てるように歌って、帰ってきた後の後味の悪さには慣れることはない。

 

今夜はジーンを聞いた。

90年代のブリットポップのブームの後も、頑張って活動を続けていたけれども、

何年か前に解散してしまったイギリスのバンド。

もっと上手に立ち回って、もっと要領よく振る舞って、

もっと上手く音楽業界の詐欺師みたいな連中にも取り入って、

コールドプレイなんかよりも売れてやればよかったのに。

 

音を消したテレビのニュースの画面が、エボラ熱からオバマ大統領の顔へ、

増税の文字から野球の結果へと目まぐるしく変わり、一日の終わりへと向かっていく頃、

ショッピングモールの前で泣いていた、あの子もとっくに夢の中の住民になっている頃、

ご飯が炊きあがるのを待ちながら、僕はジーンを聞いていました。

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雨の夜のTRAVELIN' BOY

ちょうど出かける時になったら雨が降る。

つい、さっきまで降っていなくても、階段を下りて表に出ると、ポツポツと降り出して、

ああ、またかと思いながら、傘を取りに部屋に戻ることがよくある。

邪魔くさいなと思うけれども、雨に濡れた街のしっとりとした匂いや、

落ち着いた雰囲気の中を歩くのは、何処か懐かしい感じもして嫌いじゃない。

雨の日には、綺麗なメロディーがふと浮かんできそうで、

晴れ渡った青空よりも、よっぽど自分には合っている気がする。

 

今、書いている曲もやっぱり雨の日の歌。

土曜日の夜は、その新しい曲の歌詞を考えているうちに眠ってしまっていた。

目が覚めると真夜中で、外の雨はほとんど止んでいた。

 

歌詞を書くのを止めて、誰かと話したいなと思ったけれども、

誰も思い浮かばなかったので、イギリスの女性歌手、ルーマーが昔の名曲を

カバーしているアルバムを聞いた。

 

TRAVELIN' BOY

70年代のカーペンターズの名曲等も作っていた、僕が大好きな作曲家、

ロージャーニコルスが作った曲。

唐突な夏の終わりの余韻と、秋の始まりの何とも言えない気持ちにはぴったりの、

危ない程に美しい曲。

 

白ワインを注ぎ足しながら、何度も繰り返し聞いていると、

窓の外で、また雨粒が落ちる音が聞こえたような気がしたけれど、

それは気のせいだった。

 

9月28日の日曜日、 

駒込のLive cafe K2oという所である、LIVE FEVERというイベントに出演します。

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ジムモリソンの歌声と走った夜

いつもの夜のランニング、

ジムモリソンの底なし沼のような、あの歌声を頭の中で聞きながら、一時間近く走った。

 

兄が送ってきた、もう読まなくなった、いらない本の中にジムモリソンの本もあった。

今更、ドアーズかと思いながら、何となく、手に取ってみたのだけれど、

結局、最初から最後まで、二回も読んでしまった。

何年も前に、彼の伝記を読んだ時にも思ったことだけれど、

ジムモリソンという人はよく分からない。

それが何かは分からないけれど、他の多くの伝説になったロックスターとは何かが違う。

浮世離れしたままの、孤独ないたずら小僧のようで、何処か滑稽な感じもする人。

 

読み終わった後、彼のことを本当に理解していた人なんていなかったのだろうなと、

少し寂しくなってしまったけれど、それは別にジムモリソンじゃなくても、

ロックスターでなくても、誰であろうと、みんな同じことかと考えながら、

ジャージに着替え、屈伸をして、表に出てみると、生暖かい風に乗って、

何処か遠くから、途切れ途切れに聞こえてくる盆踊りの祭囃子と、頭の中の

ジムモリソンの歌声が一つになって、一瞬、気が遠くなるような感じがした。

 

先週は板橋にあるDream's  Cafeという素敵なお店で、

ブルーススプリングスティーンハングリーハートをやった。

聞いてくれていた人たちが喜んでくれたので、嬉しくなって、

帰り道は一人でスプリングスティーンメドレーを口ずさみながら、

やっぱり、自分はスプリングスティーンが大好きなんだなあと、

演奏したり、曲を作ったりしている時が、一番、自分のままでいられる時なんだなあと

納得しながら、今になって、やたらと愛着のわいてきた、

僕が住んでいる街の、ありふれた街並みを夜風に吹かれながら歩いた。

 

今度はドアーズの曲をやってみようか、何か一人ででもやれそうな曲、

ジムモリソンとオルガンのレイマンザレクを一人二役でと考えたら、

何故かふと笑ってしまった。

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いつものスタジオで

特に理由があったわけではないけれど、ブログを更新しないまま1か月以上経っていた。

その間に何度か、色々な人たちが一緒にピクシーズの曲をカバーしている、

i phoneのCMを見て、何日か連続でピクシーズのアルバムを聞いたことやら、

僕が小学生、中学生の頃に出ていたテクニトーンフェスティバルという、

パナソニックに変わる前の、ナショナルの電子オルガンのコンクールの思い出やら、

夜のジョギングの時に、いつも猛烈な勢いで僕を抜き去っていく、

やたらと気合の入ったおじさんのことやら、書いてみようかと思ったけれど、

結局、どれも書き始めることはないまま、気が付いたら雨の季節になっていた。

 

最近は珍しく、不思議と自分の中にやる気がみなぎっているのが分かる。

最近は日本語の曲をたくさん書いている。

昔の自分が聞いたら、どう思うだろうかとかは考えなくなった。

 ソニーのミュージックビデオレコーダーというデジカメのような、

小さなビデオカメラを買ったので、この前、サポートのドラムと二人で、

いつものリハーサルスタジオに行った時に、ベースのアンプの上に置いて、

試しに撮ってみた。

 

三時間、ぶっ通しで演奏したら、最後には頭がちょっとぼーっとしてきたので、

今日は早く寝ようと思いながら、帰りに寄ったドラッグストアの前で、

一年くらい前から髪を切ってもらっている近所の美容師さんに会った。

時々、偶然会うのだけれど、彼女が連れているシーズー犬の幸せそうな表情や、

楽しげな様子を見ると、気持ちがほっとする。

三年前に死んだ、実家で飼っていたシェルティのマギーを思い出す。

部屋に帰ってからも、その夜はマギーが傍に一緒にいるような、そんな気がした。

天使のささやきが聞こえてきた帰り道

いつも通る道の途中に小さな小さなバーがある。

夜になると、静かな住宅街に、そこだけ明かりが灯って、

前を通ると、時折、70年代のソウルっぽい音楽がもれ聞こえてくる。

入ってみたことはないけれど、遠目にガラス戸の中を覗いてみると、

何やら物凄いアフロの髪型をした人たちの写真が壁に飾られているのが見える。

二、三日前の夜、くたびれて、とぼとぼと、そのバーの前まで歩いてくると、

スリーディグリーズのWhen Will I See You Againがかかっているのが聞こえてきた。

 

もう随分と前、25才の時、3か月の短期間だったけれど、ニューヨークに語学留学した。

ハーレムに近い157st駅を降りる、ジャマイカからの移民の人が多く住む地区で、

美容院をやっている黒人のおばさんのアパートにホームステイした。

 

50代半ばだった、そのおばさんは離婚して、子供とも離れて一人で暮らしていた。

毎朝起きると、おばさんは昔のソウルやモータウン専門のチャンネルに合わせてある

ラジオのスイッチを入れる。

その音で目が覚めてからも、しばらく僕はベッドの中で、リビングから大音量で

流れてくるラジオの曲に耳を傾けていた。

 

黒人のミュージシャンで誰が一番好きかと尋ねられたので、僕がプリンスと答えると、

おばさんは顔をしかめて、昔からオーティスレディングが一番好きだと言った。

オーティスは白人に殺されたと、苦々しそうに話す表情はちょっと怖かった。

ステレオがないのでもう聞けないと言っていたけれど、捨てずに取ってあった、

段ボール箱の中のLP盤のレコードの束の中には、オーティスレディングやら

ボブマーリーやらに混じってスリーディグリーズもあった。

 

When Will I See You Again,邦題は天使のささやき。

僕が彼女に会うことはもうないだろうけれど、元気にしているだろうか、

色々とルーズなところもあって、困ってしまうこともあったけれど、

とても人間臭い人だった。

美容院でお客さんと、今でもゲラゲラと大きな声で笑っているだろうか、

僕にはあまり良い人には思えなかった、あの彼氏とはどうなったのだろうか、

夕暮れ時になると、子供たちが集まってきて騒ぐ、あの通りは相変わらず、

今でもにぎやかだろうか。

 

今年はニューヨークに行きたいなと思った。

帰ったら、何かソウルのアルバムでも聞きながら、

冷蔵庫に残っていたワインを飲もう、そう思いながら、

天使のささやきが終わってしまわないうちに、夜の暗闇にぽつんと浮かぶ、

小さな小さなバーの明かりの前から、また歩き出した。

 

 

 

 

 

 

 

 
























































カートコバーンのこと

何日か前からカートコバーンについて書こうと思いながら、

何をどんなふうに書き始めたらいいのか、ぼんやりと考えているうちに、

結局、今日になってしまった。

 

4月8日はカートコバーンの遺体が見つかった日。

お昼のニュースで彼が永遠にいなくなってしまったのを知った、あの日から二十年、

僕も彼が亡くなった時の年齢をとっくに超えてしまった。

 

今ではニルヴァーナのアルバムを出してきて聞くことはめったになくなった。

他の好きなバンドなんかはyoutubeで昔のライブの映像を漁ったりもするけれど、

ニルヴァーナのライブは見ない。

たまに見てみようかと思うけれど、やっぱりすぐに途中で見るのをやめてしまう。

けれども、未だにカートのことは考えてしまう。

 

自分で自分自身の存在を消し去ってしまうということについてや、

もしも、今でも生きていれば、どのように彼は変わっていったのだろうかとか考えて、

そして最後には決まって、あれだけ才能にあふれ、美しい曲を書き、

時代を塗り替えてしまった人が、死後三日間も誰にも見つけてもらえずに、

一人きりで横たわっていたということに、何とも言えない気持ちになってしまう。

この気持ちはこれからもずっと消えないのだろうな思う。

 

カートコバーンのことを誰かと話すことはほとんどない。

誰かが彼について話すのもあまり聞きたいとは思わない。

だから、彼のことを書くのもやめておこうかとも思ったけれども、

それでは何か大きなものを自分で誤魔化しているように思えてしまう。

 ニルヴァーナは僕がリアルタイムで出会えた、最も夢中になれたバンドで、

カートコバーンはあの不機嫌な時代の僕の心の支えになった人だった。

 

やっぱり、とりとめのない文章になってしまったけれど、

カートについて想いを巡らしている間、僕の頭にずっと浮かんでいたのは、

苦痛に満ちた彼の歌声や、ドラムセットに体ごと突っ込んでいく姿じゃなくて、

彼が時折見せた、とても優しげで静かな子供っぽい笑顔だった。

今の僕にとっては、それだけが何よりも大切な物として残っているような、

それだけで十分のような、そんな気がした。