Junji In The Rain

自分の音楽、自分の大好きな音楽の話など

路上 ケルアックを想いながら

ON THE ROAD,ビートジェネレーションの聖書、

ジャックケルアックの路上が映画になっている。

 

完成から6年後の1957年に出版された、ディジーガレスピーやチャリーパーカーの

ジャズに陶酔しながら、無軌道にアメリカ横断の旅を繰り返す若者たちの一大叙事詩。

ケルアックの他の作品と同様に自伝的な小説で、語り手のサルパラダイスがケルアック、

目の前の一瞬のためにだけに生き、サルを路上へと導くディーンモリアーティは

ビートの伝説的な人物ニールキャサディ、その他にアレンギンズバーグやら

ウィリアムバロウズやらビートの作家たちが名前を変えて登場する。

 

「君の道は何だい?聖人の道か、気狂いの道か、虹の道か、グッピーの道か。

いずれにしても、誰でもがどこへでも行けるどんな道もある。どうして具現するかだ」

雨の中でうなずきあうサルとディーン。

 

若いときにどんな音楽や本や映画などに出会うかは、どんな人と出会うかと同じくらい

その人を形作るのに大きく影響する。

 トムウェイツもジムモリソンもパティスミスもボブディランも路上という小説に

強く影響を受けていると知って、この本を手にした19才の僕は取りつかれたように

夢中で繰り返し読み耽った。

この物語で描かれる延々と続く道やその先にある街や国境、そこで出会う苦悩し

傷ついた人々、交わされる言葉や闇や光は僕の中に残り、僕の一部となっている。

 

毎回旅の後には母親の元に帰り、書き溜めたメモを基に小説を書いていったケルアック。

路上の旅から10年後、もう一度創作意欲をかきたてようと再び旅に出てみたけれど、

もうアメリカではヒッチハイクもできないと嘆き、飛行機で帰ってきたケルアック。

晩年は仏教の勉強と妻と母親との静かな生活に引きこもり、ニールキャサディが

メキシコの線路の上で死んだ翌年の1969年10月21日、ニールの後を追うように、

路上に感化されたフラワーチルドレン絶頂の年に47才でひっそりと亡くなった。

 

物質主義に抵抗したビートジェネレーション、

インターネットや携帯電話が溢れるこの時代を彼らならどのように語るだろうか。

20世紀のカウンターカルチャー、若者文化が完全に終わりを迎えた今になって、

この小説を映画にすることに何の意味があるのか分からないけれど、見てみようと思う。

ジャックケルアックやニールキャサディや路上を初めて読んだ頃の自分を想いながら、

それは僕の義務でもあるように勝手に感じています。