カートコバーンのこと
何日か前からカートコバーンについて書こうと思いながら、
何をどんなふうに書き始めたらいいのか、ぼんやりと考えているうちに、
結局、今日になってしまった。
4月8日はカートコバーンの遺体が見つかった日。
お昼のニュースで彼が永遠にいなくなってしまったのを知った、あの日から二十年、
僕も彼が亡くなった時の年齢をとっくに超えてしまった。
今ではニルヴァーナのアルバムを出してきて聞くことはめったになくなった。
他の好きなバンドなんかはyoutubeで昔のライブの映像を漁ったりもするけれど、
ニルヴァーナのライブは見ない。
たまに見てみようかと思うけれど、やっぱりすぐに途中で見るのをやめてしまう。
けれども、未だにカートのことは考えてしまう。
自分で自分自身の存在を消し去ってしまうということについてや、
もしも、今でも生きていれば、どのように彼は変わっていったのだろうかとか考えて、
そして最後には決まって、あれだけ才能にあふれ、美しい曲を書き、
時代を塗り替えてしまった人が、死後三日間も誰にも見つけてもらえずに、
一人きりで横たわっていたということに、何とも言えない気持ちになってしまう。
この気持ちはこれからもずっと消えないのだろうな思う。
カートコバーンのことを誰かと話すことはほとんどない。
誰かが彼について話すのもあまり聞きたいとは思わない。
だから、彼のことを書くのもやめておこうかとも思ったけれども、
それでは何か大きなものを自分で誤魔化しているように思えてしまう。
ニルヴァーナは僕がリアルタイムで出会えた、最も夢中になれたバンドで、
カートコバーンはあの不機嫌な時代の僕の心の支えになった人だった。
やっぱり、とりとめのない文章になってしまったけれど、
カートについて想いを巡らしている間、僕の頭にずっと浮かんでいたのは、
苦痛に満ちた彼の歌声や、ドラムセットに体ごと突っ込んでいく姿じゃなくて、
彼が時折見せた、とても優しげで静かな子供っぽい笑顔だった。
今の僕にとっては、それだけが何よりも大切な物として残っているような、
それだけで十分のような、そんな気がした。