Junji In The Rain

自分の音楽、自分の大好きな音楽の話など

年の瀬にトムウェイツを聞きながら

特にクリスマスや年末らしいことは何もなかった。

ピアノを弾いて、曲を作って、ギターの弦を換えてチューニングをして、

クリスマスの夜には普段通りランニングをした。

あと数日で今年が終わるような気が全くしなかった。

 

年明けにはブルーススプリングスティーンの新しいアルバムが出るらしい。

きっと聞いた後には、また素晴らしいと感じるんだろうなとは思うけれど、

今のところ何故かほとんど興味がわかない。

最も敬愛するブルースの新作なのに、自分でも不思議な感じがする。

アルバムのツアーで来年こそは日本に来てほしいと心から思う。

 

昨日は上野のスタジオで1月19日のライブのリハをサポートのドラムとやった後、

一人で今年最後の練習をして帰った。

最近、ピアノを弾いた後はペダルを踏む右の足首が痛むので、帰って湿布を貼った。

足を引きずるように部屋の中を歩いていると、ちょっとオーバーなんじゃないか、

そこまでは痛くはないんじゃないかと、自分で自分がわざとらしく感じられた。

 

帰りの電車に乗っている間中、頭の中でトムウェイツのダウンタウントレインが

流れていたので、夜中にアルバムを出してきて聞いた。

久しぶりにトムウェイツの歌声を聞いているうちに、

少しずつ、今年ももう終わるんだなという気がしてきた。

 

みんな故郷に帰ったり、旅行に行ったり、初詣に出かけたり、餅を喉に詰まらせたり、

友人や恋人や親戚に会ったり、だらだらしたり、太ったり、懐かしさを覚えたり、

新しい年の誓いをたてたりするのだろう。

そして一週間もすれば、また元の日常の繰り返しの中に、

何事もなかったかのように戻っていくのだろうなと、そう思った。

 

1月19日の日曜日に渋谷の道玄坂の七面鳥でライブをします。

僕の出番は午後6時半からです。

サポートのドラムと二人でやります。

音楽は唯一僕がまともにできることなので、精一杯の力で演奏します。

宜しくお願いします。

http://www.7mentyo.com/schedule/2014/01.html

 

 

 

 

 

 

 

1月19日 渋谷 道玄坂の七面鳥でライブをします

人前で演奏するときは、駅の売店でリポビタンDを一本買って飲んでから、

その日の目的地へと向かう。

別に疲れを感じるとかではないけれど、行きかうスーツ姿のサラリーマンたちや

学生たちや恋人たちを眺めながら一気に飲み干すと、スイッチが入ったように感じる。

それまでの重たい気分が吹っ飛んで、早く演奏したいと思う。

早く自分の音楽と一つになりたいと思う。

 

年明けの1月19日の日曜日、

渋谷の道玄坂にあるライブバー七面鳥のライブに出演します。

4組が出演するイベントで僕の出番は18時30分からの予定です。

僕はピアノと歌で、サポートのドラムと二人でやります。

 

その日に予定を合わせて、わざわざライブ会場まで足を運んでもらうということは、

本当に大変なことだと思います。

全身全霊で演奏するので、一人でも多くの方に見に来てもらえればと思います。

宜しくお願いします。

http://www.7mentyo.com/schedule/2014/01.html

 

 

 

 

 

 

グラムパーソンズの幽霊

グラムパーソンズはモハーヴェ砂漠に葬られた。

それは彼が望んでいたことだった。

グラムパーソンズの歌声を聞くと何とも言えない気持ちになる。

もしかしたら、何とも言えない気持ちの時に彼の歌を聞くのかもしれない。

 

僕の中では、俺たちに明日はない明日に向かって撃てなどの

アメリカンニューシネマの最後には破滅して死んでゆく主人公たちと

グラムパーソンズが重なっている。

 

父親の自殺、高校の卒業式の日にアルコール中毒で亡くなった母親、

彼の中で自由に混ざり合っていったカントリーとロック、

人種差別が続く南アフリカへのツアー参加の拒否を理由に

一時的に加入していたザ バーズから脱退、その後に自分が結成した

フライングブリトーブラザーズからは追い出されてしまう。

酒と麻薬の日々、そこから立ち直るきっかけとなったエミルーハリスとの出会い、

最後の場所はジョシュアツリーのモーテルだった。

 

生前、グラムパーソンズはカリフォルニアの現在はジョシュアツリー国立公園に

なっている辺りを頻繁に訪れていたという。

彼の死後、彼の遺体が納められた棺桶は空輸される前に空港から二人の友人によって

 盗み出され、ジョシュアツリーの彼が大好きだった岩場へと運ばれ燃やされた。

 

今でもその岩場では、夜になるとグラムパーソンズの幽霊が現れて

歌ったり踊ったりしているという話があるそうだ。

グラムパーソンズの幽霊なら全く怖いとは感じない。

一緒にワインでも飲みながら、砂漠の風に吹かれて、朝までセッションでもしてみたい。

 

僕も自分だけの特別な場所を見つけられたらなと思う。

死んだ後にまで地元に連れ戻され、墓石の下の狭い暗がりに

永遠に閉じ込められているなんてまっぴらだ。

僕の理想の場所は、いつでも夕日が綺麗に見える小高い丘に広がる大きな草原。

そこで好きなだけメロディーを作ったり、そよ風と一緒に歌ったり、

雨粒の落ちる音を聞いていたいと思う。

そんな場所が見つかればいいなと思う。

 

「そうそう いつか君が話してくれたことをずっと覚えていたんだ

あの夢が叶えられなかったら僕は破滅していただろう

僕は進んだ 2万もの道をひたすら進んだ

そしてどの道も 故郷の君のもとに繋がっていたんだよ」

リターン オブ ザ グリーヴァス エンジェル by グラム パーソンズ

リバプールの人

先週、ニュースで相撲を観戦するポールマッカートニーを見た。

一か月程前に演奏させてもらった新宿のライブバーのオーナーは

関係者が知り合いにいたので良い席でポールのライブが見れると嬉しそうに話していた。

リバプールを旅行して、ビートルズゆかりの地を見て回ったこともあると言っていた。

いいですねと答えながら僕の頭に浮かんでいたのはポールとは違う別の人のことだった。

 

24才になる少し前から一年間英会話学校に通った。

一年後にはアメリカに語学留学しようと考えていたので、

小学生の頃以来初めて勉強というものを真剣に必死にやった。

そこにはたくさんの外国から来た講師たちがいて、

その中にリバプールから来ていたヘレンという名前の女性の講師がいた。

僕より一つか二つ年上で音楽や映画が大好きな面白くてとても雰囲気の良い人だった。

 何故か彼女の授業に当たることが多く、リバプールの港町について聞いたり、

他に生徒がいないときには好きな音楽の話をよくした。

 

彼女は元々はザ ラーズのファンでその頃はキャストが一番好きだと言っていた。

有名になる前のキャストのライブに通っていたとも言っていた。

ビートルズキンクスなどに強く影響を受けていたリバプール出身のザ ラーズは

有名なゼアシーゴーズが収録された名作のファーストアルバム一枚を遺しただけで

解散した伝説のバンドで、解散後にラーズのベースだったジョンパワーを中心に

結成されたのが90年代のブリットポップのブームの頃にブレークしたキャストだった。

 

ラーズは好きだったけれど、キャストの曲は何度かTVかラジオで聞いて、

特に良くも悪くもないという印象だったのでアルバムも聞いたこともなかったのに、

ヘレンにキャストは好きかと尋ねられた僕は大好きですと即答し、

草加駅のCDショップでキャストのアルバムを買って帰って聞いた。

彼女の満足げな笑顔を思い浮かべながら聞いた感想は、

やっぱり特に良くも悪くもないという感じだった。

聞いている途中で、当時一緒に住んでいた兄が帰ってきて、

これは誰か尋ねられたので、わざと少々不機嫌そうにキャストとぶっきらぼうに答えた。

 

リバプールからはいろんなバンドが出てきたけれど、ビートルズは別格として

僕が一番好きなのは80年代のギターロックバンドのペイルファウンテンズ。

ヘレンにペイルファウンテンズについて尋ねると、名前しか知らないと言ったので、

彼らの良さについて説明しようとしてみたけれど、その頃の僕の英語力では

どのように話せばよいか全く分からず、耳の後ろの辺りが熱くなってくるのを

感じながら、格好悪くもごもごと口ごもることしかできなかった。

あの時ほど勉強のことなんか考えもせずに悪友たちとほっつき歩き回っていた

十代の頃の自分を張り倒してやりたいと思ったことはなかった。

 

何年かぶりにキャストのアルバムを出して聞いてみた。印象は前と同じだった。

途中でやめて、ラーズを聞いて、それからペイルファウンテンズを聞いた。

イルファウンテンズの青臭さはやっぱりいいなと思った。

今ならこの感じを上手く伝えられるだろうかと考えていたら、

また耳の後ろの辺りが熱くなってくるような感じがしてきたので、

CDをかたずけて、コップを洗って、煙草を一本吸ってからその夜は眠りにつきました。

 

65才の孤高のロッカー ウィリーナイル

前の記事を更新してから、気が付いたら二週間も経っていた。

凄まじく沈んだ気持ちで過ごしていたので、ブログのことなどは頭に浮かばなかった。

 40才になって少しは変わったと思っていたけれど、結局は僕が本当に心を開ける場所は

音楽の中にしかないのだという事実に金縛りのように襲われて最低の気分だった。

 

うんざりするほど新しい曲を作りまくった。

腕が痛くなるまでキーボードを何時間も弾き続けて、真夜中に玉子ごはんを食べた。

嵐の日に吹っ飛んだ洗濯機の蓋がまた外れたので、ガムテープでペタペタと貼り直した。

ウィリーナイルのアルバム、STREETS OF NEWYORKとHOUSE OF A THOUSAND GUITARSを繰り返し聞いた。

ボブディランやブルーススプリングスティーンにクラッシュが混じったような繊細で

シャープで温かいニューヨーカーのロックが胸にすっと入ってきた。

 

スタジオでピアノを弾きながら何度も同じところで引っ掛かってミスするので、

右手を切り落としてやろうかと思った。

先週の水曜日には近所にある美容院に行った。

同世代とおぼしき女性が一人でやっている自宅兼店舗の小さな美容院で、

ピアノと英会話の話をした。

綺麗な手ですねと言われたので、父親には何もできない手だと言われますと答えた。

帰ってキーボードを弾きながら、あの人はこの街でずっと生きていくんだろうなと

考えていたら急に泣きたくなってきた。

随分と空気が冷たくなった次の日の帰り道、ウィリーナイルの曲を口ずさみながら、

このまま止まらずに何処までも歩き続けていたいような気持ちになった。

 

ウィリーナイルはニューヨークを拠点に活動している、

今年65才になるシンガーソングライター。

数年前にスプリングスティーンとライブで共演しているのを見て彼のことを知った。

有名なわけでもヒット曲があるわけでも何処かに所属しているわけでもないけれど、

彼の曲を聞くと、そんなことは音楽には何の関係もないのだと思い出させてくれる。

格好つけただけのアーティスト気取りの連中や、彼と同世代の大御所と呼ばれる

にやついた成金連中よりも彼の曲は何倍も素晴らしい。

そして、彼のような人をちゃんと評価するニューヨークという街もやっぱり素晴らしい。

 

ブログも辞めてやろうかと思っていたけれど、ウィリーナイルを聞きながら、

この記事を書いているうちに、やっぱりもう少し続けてみようかと思い直しました。

 

今年、ウィリーナイルはニューアルバム、AMERICAN RIDEを発表しました。

リバーフェニックスの命日

1993年のハロウィンの夜にリバーフェニックスは亡くなった。

もう20年も経つのかと思うと驚かずにはいられない。

 

僕より三つ年上の彼のことはファンというよりも、あの何処にいても

居心地の悪さが滲み出ているような彼の演技、佇まいに親近感を持っていた。

音楽が大好きでバンドもやっていて、スミスやREMなんかも聞くという話にも

好感を持った。

 

彼が亡くなったときにはまだ実家に住んでいて、新聞で彼の死を知った。

スタンドバイミーで有名な俳優、まだ23才だったこと、ハリウッドのクラブの

外の路上で倒れて亡くなったことなどが書いてあるだけの小さな記事だった。

それから5カ月後にはカートコバーンが27才で自殺した。

f:id:Junjiandmaggie:20131031160213j:plain

リバーの映画で一番好きなのは

ジャクソンブラウンの代表曲と同名タイトルのRUNNING ON EMPTY。

元はベトナム戦争反戦運動家でFBIにテロリストとして追われている両親と

その息子たちの家族の物語で、長男役のリバーは複雑な境遇の少年を演じきっている。

各地を転々としながら家族で支えあい暮してきたリバーの少年時代と重なる

悲しくて心の温まる名作。

初めてできた彼女を自宅に招待して、みんなでジェームステイラーの名曲

ファイアーアンドレインを歌う場面は忘れられない。

 

THING CALLED LOVEも強く印象に残っている。

ナッシュビルでカントリーのスターを目指す若者たちの物語で、

ストーリーはありきたりだけれど、撮影の後、実生活でも恋人になり

彼の最期を看取ったサマンサマシスが特に素晴らしい。

根暗な高校生が名前を隠して海賊ラジオのDJを始め、英雄になっていくけれど、

大人たちからは理解されることはなく苦い結末を迎える、

彼女とクリスチャンスレーターのPUMP UP THE VOLUMEも僕の心の名作です。

 

もしリバーが生きていたとしても、彼のような才能を活かせる映画は

今の時代にはほとんどないんじゃないかと思う。

僕は今年40才になった。

リバーやカートは本当に早く、一瞬でいなくなってしまったのだなあと改めて思う。

リバーの命日なので彼のことを書いているうちに、ふらっと昔の友人でも訪ねるように、

久しぶりに彼の映画が無性に観たくなってきました。

 

「僕は炎も見たし、僕は雨も見てきた、

決して終わることなどないと思えるような晴れた日々も見た、

一人の友人も見つけられない淋しい時も見た、

それでも、いつだって君にもう一度会えると思っていたんだ」

ファイアーアンドレイン   byジェームステイラー

 

今日、リバーの幻の遺作ダークブラッドが来年公開されることになったと知りました。

自伝を出版したモリッシー

モリッシーの自伝がヨーロッパで出版された。

今のところ日本語訳が出る予定はないようだけど、

イギリスではベストセラーになる勢いで売れているらしい。

 

何か大層な綺麗にまとまったストーリーを押し付けられるようで

自伝というのはあまり好きではないけれど、モリッシー、ザ スミスは

僕にとって大きな大きな存在なので、やっぱり読んでみたい。

 本の中では30代の頃、男性と交際していたことを告白しているらしいけれど、

二人が恋愛関係にあったのかについては曖昧なままにしているというのは、

いかにもモリッシーらしい。

 

93年に出たパリでのライブを収録したアルバム、ベートーベンワズデフ、

大きなモリッシーコールの中、静かに始まるSEA SICK,YET STILL DOCKED,

「今夜は堪えきれないほど食べてしまった、

僕が一日中こうして眠っているのを知れば、君にも明らかだろう、

僕が本当に今まで誰のことも愛したことなどなかったということが」

なんて素晴らしいのだろうと思った。

なんて偉大な詩人なのだろうと思った。

f:id:Junjiandmaggie:20131029030436j:plain

 25年以上に及ぶソロ活動の過程でモリッシーはどんどん強くなっていったのだと思う。

ザ スミスという伝説に飲み込まれずに、逆にそれを取り込んで、

更にモリッシーという伝説を大きくしていったことは本当に凄いし上手いなと思う。

そんな真似は彼以外の誰にも出来なかったことだと思う。

 

「コンニチワ、MY TOKYO ROSE」そう言って始まった去年のZeppTokyoでのライブ、

モリッシーの存在感は圧倒的だった。

崇拝するジェームズディーンやエルヴィスプレスリーのように伝説として語られる存在に自分もなってモリッシーは満足しているのだろうなと思った。

 最近は病気がちでツアーをキャンセルしたりしているようだけれど、

ここまで死なずに生きてきたのだから、モリッシーには元気でいてほしいです。

まだまだ世界中に僕も含めてモリッシーを必要としている人々がたくさんいるのだから。